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山本勘助のご紹介 その9

武田明信の軍師 山本勘助のご紹介いたします。

生年生地については定かではないが、俗説では駿河(するが)富士郡山本村(静岡県富士宮市山本)の生まれで、12歳で三河牛窪(みかわうしくぼ)(愛知県豊川市)の大林勘左衛門の養子になったという(やはり、談合坂の店員さんの話は本当のようです)双葉サービスエリヤは愛知生まれになっていましたが、あくまでも伝説話です!結構、雑誌によってもいろいろな捕らえ方をしていて面白いです。皆さまも実際に足を運んで楽しんでみてください。

少年期に疱瘡(ほうそう)をわずらい隻眼(せきがん)となり、片足も不自由だったと伝えられているみたいです。

勘助は長く働きどころを得得られなかったが、武田晴信(のちの信玄)の武将としての器に惚れ込み仕官になる。長きにわたり諸国を遍歴して会得(えとく)し軍略や築城術(信州塩尻の南熊井城跡の松林寺の住職さんが丁寧に説明してくれました。いつか近日中に紹介します。松林寺の住職様いろいろ教えてくれてありがとうございます。お寺の庭園も綺麗で心癒されます。参拝にチョコチョコお邪魔しちゃいますが宜しくお願いも申し上げます)豊富な兵法(へいほう)の知識を認められ、破格の知行(ちぎょう)で武田家に招かれました。ちょうど武田晴信(信玄)が家督(かとく)相続したと同時期で40歳(第四チャクラ=グリーン=ピンク)ころであったとされます。

武田晴信(信玄)の天下取りを補佐すべく、軍師として辣腕(らつわん)をふるう。合戦の作戦を立てるだけではなく、謀略(ぼうりゃく)にも優れ、戦わずして数々の勝利を武田軍にもたらす。

天文(てんぶん)11(1542)年の諏訪攻略では間者(かんじゃ)として働いて、諏訪頼重を敗北せしめ、その美しい娘・由布姫を保護して武田晴信(信玄)に引き合わせる。そののち、武田晴信(信玄)の側室(そくしつ)となった由布姫を敬幕し、ふたりの子・勝頼(かつより)が武田家の跡継ぎとなるべく画策するみたいです。

実は今、軍師 山本勘助のことがよくわかりました。感覚でよくここまで紐解いたと思いますが、楽しむことが一番大切のように思います。学生時代にもっと勉学に励んどけばよかったように感じます。

勘助の武田家に対する恨みがあったようです。愛する女性・ミツ(またいつかご紹介いたします)を殺され、武田に復讐(ふくしゅう)するべく行動をおこしていく。生ぬるい感情で武田晴信(信玄)と出会い憎しみがいつしか興味となり「どうしてもこの男に仕えたい」という気持ちに変わっていったようです。ミツは甲斐の貧しい土地と生命力(いのち)を代表する女性のようです。

戦国時代は戦い頭角をする唯一の手段であり、野望を達成する貴重な足がかりで、死ぬまで戦いに明け暮れ、泥まみれていた人生のように感じますが、今世の人々はこの思いを忘れているように感じます。

ピンクドルフィンも回りにあわせていましたが、いろいろと疑問・謎が多く、解決&解明したい想いが強く、いろいろ体験し、教えていただいたことに感謝します。

2年前にオーラビヨンカメラ(ポラロイドフィルム=オーラ写真)をいろいろと考えていましたが、今は自然を通じてオーラも感じ始め、とても心落ち着き、目に見えないものも感じ始めています。

今月は大阪・なごやすぴこんに参加しますが、風林火山を通じて戦国時代の組織図が見えてきましたが、基本はロマン(ピンク)でご紹介していくつもりです。

今月はとても楽しみにしています

※NHK大河ドラマ・ストーリー風林火山 前編

ガイドのとら 風林火山を巡る旅

岡谷駅・塩尻駅風林火山ゆかりの地めぐり JR東日本長野支社より引用参考資料

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